認知症ケアの理念
「理念」とは、物事のあるべき状態についての基本的な考え方のことです。「認知症ケアの理念」とは、認知症の人のケアをするうえで、向かうべき方向性を示すものです。認知症ケアにおける理念とは、認知症の人の立場に立って、その人が安心、安全に幸福に暮らすことを目指すものです。私たちが生きていくうえで、安心、安全に暮らしたいと願うのは、すべての人の共通した願いであり、これは認知症の人も同じです。
安全に暮らすことは、自分たちの努力によってかなえられることですが、認知症の人は自分の力でそれを得ることがむずかしくなっています。認知症の人の安全は介護者が保障していくしかないでしょう。安全に生きることは、物理的な危険の排除だけでなく、認知症の人自身が不安なく生活することです。認知症の人の立場に立った安心、安全の保障を考えなければいけないと思います。
介護保険法の第一条では、要介護状態にある人の「尊厳」を保持し、その有する能力に応じ、自立した生活を営むことができるよう必要なサービスを提供することが書かれています。ここでいう「尊厳」とは人格に備わる、何事にも優先し、ほかのもので取って代わることのできない絶対的価値であり、厳かで侵すことのできないもののことです。認知症の人の尊厳とは、その人が感じている絶対的な価値であり、それを保障することが介護者の責任と言えるでしょう。
たとえば転倒する危険を排除するという目的で行なわれる身体拘束は、介護者にとっての安心であり、けして認知症の人の立場に立った安全の保障ではありません。拘束される理由が理解できない認知症の人にとっては、尊厳を侵される行為となることを理解しなければいけません。
しかし、私は身体拘束の問題については疑問を持っています。というのは、身体拘束をしないばかりに、転倒して骨折した利用者様を見てきたからです。たしかに転倒させたのは介護者の責任です。転倒させないためにいろいろ考えながら、しかし、1人の介護者が複数の利用者様を見なければいけない状況のなかにあって、転倒による骨折の責任を介護者に押し付けていいものだろうか。未だ私自身の心のなかには答えが見つからない状態にあります。でも、認知症ケアの理念のなかには、安全の保障と尊厳の保障は不可欠であることは間違いありません。
客観的QOLと主観的QOLと質の高いケアの理解
トム・キットウッドは、これからの新しい認知症ケアとして、認知症の人のQOL(生活の質)を高めることで解決できないかと考えています。私も認知症ケアにおいて、QOLを高めていくことは大きな課題だと思います。
認知症ケアにおいて、安全を保障すること、尊厳を保障することは言うまでもないが、介護者の不注意や不適切なケアによって、危険な状態になること、尊厳が侵されることもあります。たとえば、介護者の不注意によって、転倒や転落が起こることもあります。身体的不調を察知することができず、体の病気が悪化することもあるかもしれません。しかし、それは介護者の経験不足、知識や技術の足りなさ、もしくは環境の不備、経営者の問題、様々な要因が絡まっていると考えています。一方的に介護者を責める気は毛頭ありません。むしろ現実に苦しんでいる介護者を擁護すべきだと思っています。
トム・キットウッドのいう「悪性の社会心理」の行動は、認知症の人を深く傷つける不適切なケアであり、尊厳を侵すという意味でも行ってはいけないケアです。一方、認知症の人が生活していくうえで最低限行われるケアとして、身体を清潔に保つこと、栄養状態に気をつけること、水分摂取に心がけること、安眠を確保すること、健康に気をつけることなどがあります。それだけでも介護者側から見れば十分な仕事をこなしているケアだと私は思います。このような外部からみて客観的にわかる生活の質は客観的QOLといわれています。
客観的QOLを高めることは、介護者にとって最低限行わなければならないケアです。このレベルに達して初めて基本的な生活の質を保証しているといえます。質の高いケアはその先にあるケアで、QOLには主観的QOLがあります。主観的QOLとは、認知症の人が考えたり、感じたりすること、本人が望む生活の質のことです。主観的QOLは本人が生活していくうえで全般的に満足していることや不安なく精神的に安定していること、自分の意志で自ら行動したいと思う気持ちや活力があること、自分のことを自分の意志で決定することです。
もし認知症の人が生活していくうえで困難を感じているのであれば、その困難な状況だけに目を向けるのではなく、その背景にある原因までも探って、その原因までも対処していく必要があります。それは認知症の症状によって起こるだけではなく、周辺の様々な要因が原因している場合もあります。その周辺の問題までも解決していくことも重要な課題になります。認知症の人の安心、安全を保障することや客観的QOLを高めることは最低限のケアであり、質の高いケアとは客観的QOLを満たしたうえで、主観的QOLを向上させるケアです。

